四、賀茂の書院朝顔「散りたる梅の枝」

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第五章 源氏物語を彩る女たち其の一「賀茂の斎院 朝顔の君」
四、賀茂の書院朝顔「散りたる梅の枝」

 

 

 

 季節は移り夏がやって来ました。藤壺の宮の一周忌も過ぎて世の人は喪服を脱ぎ、明るい色に衣替えしました。しばらくして朝顔の君の父式部卿の喪も明け、賀茂の祭りの頃となりました。
朝顔の君は、昨年までは賀茂の斎院として重要な役割を担っていたのに引き比べ、今年は嘘のように静かな日々です。そこに折をすぐさず源氏の君からお便りがありました。そのあたりを原文で読みましょう。大殿とあるのが源氏の君です。

  年かはりて、宮の御果ても過ぎぬれば、世の中色あらたまりて、更衣のほどなども今めかしきを、まして祭のころはおほかたの空のけしきここちよげなるに、前斎院はつれづれとながめたまふ。御前なる桂の下風なつかしきにつけても、若き人々は思ひ出づることどもあるに、大殿より、「御禊の日はいかにのどやかにおぼさるらむ」と、とぶらひきこえさせたまへり。「今日は、
    かけきやは川瀬の波もたちかへり
      君がみそぎの藤のやつれを」
紫の紙、立文すくよかにて、藤の花につけたまへり。をりのあはれなれば、御返りあり。
   「藤衣着しは昨日と思ふまに
       今日はみそぎの瀬にかはる世を
はかなく」とばかりあるを、例の、御目とどめたまひて見おはす。

 源氏からのお手紙は「あなたが斎院を辞され、服喪あけの禊をなさることになろうとは思いもかけないことでした」というような意味の歌が紫色の紙に書かれていて、藤の花に付けられています。折も折なのでさすがに朝顔もお返事を書きました。お返事の歌は「父の喪に服したのはつい昨日の事と思われますのにもう喪服を脱ぐ頃となりました。時の移り変わりの速さに世のはかなさを感じています」と言うような意味でしょうか。このお返事を源氏は例によってじっと手から離さず見たのでした。この喪明けに合せて源氏の元からはさまざまな贈り物が届きました。朝顔は当惑するのですが、送り返すわけにもいきません。女五の宮はしきりに源氏との結婚を勧めます。 「亡くなった式部卿も源氏の君を婿に迎えたいと強く願っておられたのにあなたが強情を張ってお断りになって、そのあとでは斎院になってしまわれたことをとても残念がっておいでだった」などと言うのです。そして、「今は正妻だった葵上様も亡くなってしまったことだし誰に遠慮もいらないのだからせっかく好意をよせてくださっているのを無下にしりぞけるなど馬鹿げている」と一生懸命源氏の求婚にこたえるように説得してくるのでした。けれども朝顔は「父上も強情ものと私のことを思ってさじを投げられたのです。今さらなびくことなどできません」と頑なにその勧めを断ります。女五の宮もそれ以上無理にすすめることはできませんでした。原文で読みましょう。

 「さらがへりてかくねむごろに聞こえたまふも、さるべきにもあらむとなむ思ひはべる」など、いと古代に聞こえたまふを、心づきなしとおぼして、「故宮にもしか心ごはきものに思はれたてまつりて過ぎはべりにしを、今さらにまた世になびきはべらむも、いとつきなきことになむ」と聞こえたまひて、はづかしげなる御けしきなれば、しひてもえ聞こえおもむけたまはず。

 源氏の方もなかなかあきらめきれないものの、強引な手を使って我がものとするようなことは考えていませんでした。
その後しばらく朝顔の君は物語から姿を消しますが、源氏の君からの折に触れての手紙や贈り物などは引き続きあり、それに対してのお返事やお礼という行き来はあったと思われます。
 朝顔の君の名前が次に物語に現れるのは、六年後、源氏の娘明石姫の入内準備の時です。お輿入れに際して源氏はお眼鏡に叶った方たちに香や書を依頼しました。朝顔の君も勿論その中に入っています。この日は兵部卿の宮(源氏の腹違いの弟)が源氏の元を訪れ二人が語らっていたところに、朝顔の君からのお手紙とお香が届いたのでした。原文で読みましょう。

  昔より取り分きたる御仲なれば、隔てなく、そのことかのことと聞こえあはせたまひて、花をめでつつおはするほどに、前斎院よりとて、散り過ぎたる梅の枝につけたる御文持て参れり。宮、聞こしめすこともあれば、「いかなる御消息のすすみ参れるにか」とて、をかしとおぼしたれば、ほほゑみて、「いと馴れ馴れしきこと聞こえつけたりしを、まめやかに急ぎものしたまへるなめり」とて、御文は引き隠したまひつ。
  沈の筥に、瑠璃の坏二つすゑて、大きにまろがしつつ入れたまへり。心葉、紺瑠璃には五葉の枝、白きには梅を選りて、同じくひき結びたる糸のさまも、なよびかになまめかしうぞしたまへる。「艶なるもののさまかな」とて、御目とどめたまへるに、
    花の香は散りにし枝にとまらねど
      うつらむ袖に浅くしまめや
ほのかなるを御覧じつけて、宮はことごとしう誦じたまふ。

 兵部卿の宮は以前から源氏が朝顔の君に御執心ということは聞いていたので、「あちらからどんなお手紙が来たのですか」と興味津々です。源氏は「いやいやこちらから厚かましいお願いをしてね」と言ってお手紙のほうは隠したのでした。届いたお香はたいそう雅な姿です。心葉というのは贈り物などに飾りとしてつける造花のことで、青い瑠璃の杯には五葉の松、白い瑠璃の杯には白い梅の、それぞれ造り物がつけてあったというわけですね。そしてそっと歌が添えられています。「時を過ぎた私には薫物も甲斐の無いものですがお姫様のお袖にはしっかり薫ることでしょう」と言うような歌ですが、それを兵部卿は大げさに吟詠なさったとあります。源氏は期待通りの朝顔の君の対応に、あらためて彼女を懐かしくもいとしくも思ったのでした。そしてその後また朝顔は物語から姿を消します。次にその名前見えるのは、八年後のことです。出家した朧月夜の君から手紙が届いたところです。今ではすっかり切れた仲なので、源氏はその手紙を紫の上に見せ、手の届かぬところに行ってしまわれたことを残念がったのでした。その時に朧月夜と並んで名を挙げているのが斎院つまり朝顔の君です。「今ではこの二人だけが四季折々の風情に寄せて雅を交せるお方だったのにお二人共わたしを見捨てて出家してしまわれた、さびしいことだ」と言い、さらに、「斎院は勤行一筋に過ごしておいでのようだ、あのように思慮深くてしかも心優しい方は他には見当たらない」と言っています。朝顔の君がいつ出家したのかについては書かれていないのですが、少なくともこのときにはすでに出家していたことがわかります。原文で読みましょう。女君とあるのは紫の上です。

  二条の院におはしますほどにて、女君にも、今はむげに絶えぬることにて、みせたてまつりたまふ。「いといたくこそはづかしめられたれ。げに心づきなしや。さまざま心細き世の中のありさまを、よく見過ぐしつるやうなるよ。なべての世のことにても、はかなくものを言ひかはし、時々によせて、あはれをも知り、ゆゑをも過ぐさず、よそながらのむつびかはしつべき人は、斎院とこの君とこそは残りありつるを、かくみな背き果てて、斎院はた、いみじうつとめて、まぎれなく行ひにしみたまひにたなり。なほここらの人のありさまを聞き見るなかに、深く思ふさまに、さすがになつかしきことの、かの人の御なづらひにだにもあらざりけるかな。女子を生ほし立てむことよ、いと難かるべきわざなりけり(以下略)」

 源氏の君ももう40代の後半です。娘の明石姫は立派に育って、帝の元にあるのですが、女の子を育てるのは難しいものだとこぼししているのは、不実を冒した若い妻、女三の宮のことが頭にあるのでしょうか。ともあれ、源氏の理想の女性として朝顔の君が位置づけられていたことのわかる言葉です。この言葉からも、朝顔の君が源氏の中では非常に高い評価を受けていたことがわかるのですが、私の中では彼女のイメージははっきりしないのです。源氏の求愛を拒みはするものの、それとなく相手を思いやる優しさを滲ませるというような人だったのでしょうか。ともかく、自制心の強い、理性的で意志堅固な方だったと思います。なかなかここまで孤独に耐えて、男の甘い言葉になびくことなく自らを律し続けられる人はいないと思います。源氏物語の中でも異彩を放っています。そんな方、私の尊敬する女君、朝顔の君とは今回でお別れです。










文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第五章 源氏物語を彩る女たち其の二「夕顔の遺児 玉鬘」第一話「はるかなるほどに」 2026年7月9日配信いたします。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗