二、賀茂の書院朝顔「木綿だすき」

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第五章 源氏物語を彩る女たち其の一「賀茂の斎院 朝顔の君」
二、賀茂の書院朝顔「木綿だすき」

 

 

 

 同じ年の秋の日のことです。ちょっとした事情があって、雲林院という寺院に籠り勤行に励んでいた源氏は、そこから斎院に便りします。雲林院は、斎院御所と同じ紫野にあったことから、斎院にお便りすることを思い立ったのでした。例によって表向きは朝顔のお傍に仕える女房中将に宛てたものです。斎院に届ける手紙ということで、榊に木綿(ゆう・・・麻や楮の白皮で作った糸)を結び付けたものに手紙を付けて届けさせています。原文でご紹介しましょう。
「御前」とあるのが朝顔の姫君です。

  吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり。中将の君に、
   かく旅の空になむもの思ひにあくがれにけるを、おぼし知るにもあらじかし。
など、怨みたまひて、御前には、
    かけまくはかしこけれどもそのかみの
      秋おもほゆる木綿襷かな
  昔を今にと思ひたまふるかひもなく、とり返されむもののやうに。
となれなれしげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿つけなど、神々しうしなして参らせたまふ。

 手紙の内容は中将あてには、「こんなふうに物思いゆえに身も心も彷徨い出て嘆き暮らしていることなど御存じないのでしょうね」と恨み言が書かれています。斎院に宛てては、「畏れ多いことではあるけれど昔あなたにお会いした秋が思い出されます」というような歌が書かれていて、さらに「昔を今に取り戻したいと思いましても斎院となられた今ではどうしようもありません」と付け加えられています。この書き方によれば、昔、一度は朝顔の姫君と源氏の君は逢ったことがあることになりますが、これについてははっきりしません。朝顔の方はそんなことはなかったというふうに言っています。中将と朝顔からの返事を原文で読みましょう。
 
  御返り、中将、
  まぎるることなくて、来しかたのことを思ひたまへいづるつれづれのままには、思ひやりきこえさすること多くはべれど、かひなくのみなむ。
とすこし心とどめて多かり。御前のは、木綿の片端に、
  「そのかみやいかがはありし木綿襷
     心にかけてしのぶらむゆゑ
近き世に」とぞある。

 中将からのお返事には「こちらでは雑事に取り紛れることもございませんのであなたさまのことを色々おしのび申しておりますが甲斐の無いことでございます」とあり、朝顔の斎院からは「あなたは心にかけて昔の事を偲ぶとおっしゃるけれど、昔、何があったとおっしゃるのでしょうか」と歌を返しています。最後に近き世にと書き足してあるのは、「近き世には猶更」と言うような意味合いでしょうね。つまり、「最近は猶更何もあるはずもありません」ということでしょうか。このお返事をみた源氏の感想は、朝顔の書きぶりが以前よりも﨟たけて来たと感じ、御本人も年齢を重ねてより魅力的になっておられるだろうと想像しています。原文で読みましょう。

  御手こまやかにはあらねど、らうらうじう、草などをかしうなりにけり、まして朝顔もねびまさりたまふらむかしと、思ひやるもただならず、恐ろしや。(略)わりなうおぼさばさもありぬべかりし年ごろは、のどかに過ぐいたまひて、今はくやしう思ほさるべかめるも、あやしき御心なりや。院も、かくなべてならぬ御心ばへを見知りきこえたまへれば、たまさかなる御返りなどは、えしももて離れきこえたまふまじかめり。すこしあいなきことなりかし。

 ここでも以前一度はお顔を見たことが有るような書き方になっています。「朝顔もねびたまふらむかし」という部分です。以前見た時よりも年を重ねてより美しくなっておられるだろうということなのですから。まあそこは?でおいておくことにしましょう。ともあれ、源氏は、朝顔が斎院になられる前に、彼女を自分のものにしておかなかったことを激しく後悔しています。朝顔斎院のほうは、今は安全地帯に居ると言う思いからか、時折お返事を出していたとあります。それについては「すこしあいなきことなりかし」つまり「それはちょっと不都合なことです」と草子地(コメント)が入っています。実際このやりとりは不謹慎なこととして世間の噂になったことがうかがわれる箇所があります。
 この後、やがて源氏の君は朧月夜との事件で都を追われ、須磨明石と流謫の日々を送ることになりました。そしてその後京に復帰、源氏の後見する冷泉帝が即位し源氏は並ぶ者のない権力者となりました。それからさらに4年余りの歳月が流れ、源氏の君32歳の時に朝顔斎院の父桃園式部卿が亡くなり、朝顔は喪に服するために斎院を降りて、実家の桃園邸に退下することとなりました。斎院として過ごした歳月はほぼ8年かと思われます。物語には朝顔の年齢は出てこないので、今何歳になっているのかはわかりません。源氏より少し年下かなと思われます。源氏は思いを寄せた人のことはずっと諦めない性分なので、斎院を降りられたと知るとしげしげと恋文を送ってくるようになりました。朝顔は、源氏との仲が噂に上った苦い経験もこともあることから、お返事もあまり差し上げないのでした。そこで残念に思う源氏は朝顔の元を訪ねていくことを画策したのでした。朝顔が住む実家桃園邸には年老いた式部卿の妹(桐壺院の妹でもある)女五の宮、も住んでいます。源氏はこの高齢の伯母を見舞うという口実で朝顔のもとを訪れたのでした。原文です。

  斎院は御服にて下りゐたまひにきかし。大臣、例のおぼしそめつることは絶えぬ御癖にて、御とぶらひなどいとしげう聞こえたまふ。宮、わづらはしかりしことをおぼせば、御返りもうちとけて聞こえたまはず。いとくちをしとおぼしわたる。長月になりて、桃園の宮にわたりたまひぬるを聞きて、女五の宮のそこにおはすれば、そなたの御とぶらひにことづけてまうでたまふ。

 叔母の五の宮を見舞った後で、寝殿の西の対に住む朝顔を訪ねます。対応するのは宣旨と呼ばれる女房で朝顔と源氏の間を行き来してそれぞれのお言葉を伝えます。源氏は御簾の外に座らされて、直接朝顔と言葉を交わすことも許されないのでした。今はお部屋の出入りも許されるかと思って参りましたのにと訴えるのですが・・・。原文です。

  宣旨、対面して、御消息は聞こゆ。「今さらに若々しきここちする御簾の前かな。神さびにける年月の労かぞへられはべるに、今は内外もゆるさせたまひてむとぞ頼みはべりける」とて飽かずおぼしたり。(略)
「人知れず神のゆるしを待ちしまに
   ここらつれなき世を過ぐすかな
今は何のいさめにかかこたせたまはむとすらむ。なべて世にわづらはしきことさへはべりしのち、さまざまに思ひたまへ集めしかな。いかで片端をだに」とあながちに聞こえたまふ御用意なども、昔よりも今少しなまめかしきけさへ添ひたまひにけり。

 源氏は「賀茂の神の許しを待ち続けて、こんなにも長く、つれないあなたの態度に耐えて来たのですよ」と歌で訴え、この間の色々、須磨流謫などの不遇の時代の話を片端でもお聞きになって下さいと懇願するのですが、その源氏の姿は以前にもまして魅力的です。それに対して朝顔は「この世の哀れをお慰めするだけでも賀茂の神はおとがめになるでしょう」というような意味の歌を返します。源氏は何とか朝顔と親しくお話がしたいと思うのですが、相手にしてもらえないのです。まわりの女房たちはやきもきしています。そのあたり少し原文で読みましょう。

  世づかぬ御ありさまは、年月に添へても、もの深くのみ引き入りたまひて、え聞こえたまはぬを、見たてまつりなやめり。「すきずきしきやうになりぬるを」など、浅はかならずうち嘆きて立ちたまふ。「齢の積りには、面なくこそなるわざなりけれ。世に知らぬやつれを、今ぞとだに聞こえさすべくやはもてなしたまひける」とて、出でたまふ名残、所狭きまで、例の聞こえあへり。

 一向に打ち解けてはくれない朝顔にしびれをきらして、源氏は嘆きながら帰ってゆきます。その後ろ姿を見送って、女房達は、例によってざわざわと源氏の君を褒めたたえるのでした。こうして帰って行った源氏ですが、その性格として冷たくされれば余計に諦めきれません。とりあえず今日はここまでといたしましょう。












文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第五章 源氏物語を彩る女たち其の一「賀茂の斎院 朝顔の君」第三話 賀茂の書院朝顔「うつる朝顔」 2026年6月11日配信いたします。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗